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若松マーケット再生計画スタート

 【街づくり】 【繁華街の再生】 【商店街の活性化】 政治家、行政マン、誰もが異口同音に声高に叫ぶ。しかし実態は厳しいものがあり、成果が報告されることはほとんどない。

 個々の利害の衝突、方向性が不透明、行政の怠惰、後継不足による意欲の低下、時流に対応する能力、新しい提案に対する基本的な拒否反応など、様々な要因によって進むべき道は閉ざされていく。

 成功の秘訣は「自助」「共助」「公助」 の哲学を共有すること。標準を一つに絞り共に歩む体制を整えることにある。
 商店街、繁華街で活動する人々が自らの人生をかけて勝負する気風があるか?商店会や組合、協会、更に自治会組織が地域の提案を受け止める真剣さがあるか?市、県、そして金融機関に街を興す気概があるか?

 若松マーケットの再生は、今第一歩を踏み出した。上記のテーマは徐々に理解されつつある。横須賀ブラジャーに続く第二、第三、第四の提案も用意されている。多くの方々から意見や指摘、参加の要望も伝えられている。活性化へのモデルは今燃えている。
牧島 功

 以下に、【産経新聞2012年1月28日】掲載記事全文ならびに【日経レストラン2012年2月号】掲載記事全文をご紹介します。
カクテルで街おこし
 ブランデーといえば、暖炉にガウンに(石原)裕次郎・…。 “昭和ゴージャス”な昔のお酒と思われていたブランデーが復活しそうだ。横須賀市の古いスナック街では、古臭さを逆手にブランデーカクテルで町おこしを図っている。果実を使ったアレンジも人気を集めており、“平成流ブランデーの楽しみ”が広がってきた。
  京急線横須賀中央駅(横須賀市)から歩いて数分の「若松マーケット」は、戦後に建てられた小さな店が肩を寄せ合うディープなスナック街だ。扉を開けるのには勇気がいるが、実は一見さん大歓迎という。昨年11月から、ブランデーをジンジャエールで割ったカクテル「横須賀ブラジャー」を各店で提供。アルコール度数も低く、価格を1杯500円程度に抑えて新しい客を誘っている。

 「ここは昭和48年のオイルショック頃まで店は100を超え大にぎわいでした。今はさびれてしまったが“昭和の街”として映画などの撮影にはずい分と使われている。ならばと、古さを逆手にとった町おこし計画が県などの支援で始まり、その一環でブランデーに着目したわけなんです」

写真
「横須賀ブラジャー」を提供する
スナック「山小屋」のママ、坂元一美さん
と若松新生商業組合の佐藤昭夫組合長(69)。

  現在の組合員は70店。町おこし始動後は空き店舗に新規店が10軒入り。絶滅種”の若者客が現れるなど少しずつだが活気も戻る。昭和31年からスナック「山小屋」を営むママの坂元一美さんは「昔は防大の教官が学生を連れてきてくれたり、地元の世代間交流が楽しかった。今の若い人にも、チェーン店にはない独特の雰囲気を昧わってもらえたら」とカクテルを注ぐ。

 ブランデーのアルコール度数は約40度、昨今の低アルコール志向の逆風をもろに受けている。「国内市場はピークだった平成3年の496万ダースから20年間で6分の1にまで縮小している」とサントリー広報。

 同社は「ハイボール」の大ヒットでウイスキー消費を復活させた実績もあり、2匹目のドジョウを狙う「ブランデースプリッツァー」プロモーションを昨年から展開中だ。ボトルー本が約1千円と最も安い「V・O」を推奨。これにオレンジなどの果物を1日漬け、炭酸で割るだけで、アルコール度数8%とおだやかな、今風のフル^ティーな酒に変化するという。

 サントリーによると、ブランデースプリッツァーをメニュー化した店は、この半年間で東京、大阪で300店とうなぎのぼりという。

 わが家でも大量に届いたミカンを漬けてみたが、高アルコール志向の私には炭酸割りよりもストレートの方がおいしい。プランテーの自由さと庶民性に、目からウロコの一杯である。
「昭和レトロ」で活性の道拓く
 かつては多くの客であふれかえった横須賀市の飲食店街「若松マーケット」。ご当地ドリンク「横須賀ブラジャー」を共同開発し、街に若者を呼び戻そうとしている。
 京浜急行の横須賀中央駅を降りて、狭い路地を数分歩くと、小さなスナックや居酒屋がひしめく通りが現れる。通称、若松マーケットと呼ばれる飲食店街だ。

 この若松マーケットで販売されるドリンク「横須賀ブラジャー」が今、注目を集めている。ブラジャーを売りだしたのは、この地区の若松新生商業組合に加盟する飲食店。ブランデーをジンジャーエールで割っていることから、この名前を付けた。個性的な名前はたちまち話題を呼び、2011年11月の発売直後、ネット[このニュースサイトなどに相次いで記事が掲載された。反響はそれだけに留まらない。愛知県岡崎市や東京都大田区の飲食店からもブラジャーを販売したいという問い合わせがあったという。
 若松マーケットは、戦後すぐに飲
食店街としてスタート。最盛期の昭和30〜40年代には、若者でにぎわったものの、バブル崩壊後に客足が遠のき、急速に寂れていった。最盛期には120あった店が、現在は70まで減っている。この若松マーケットにもう一度、多くの若い客を呼び戻す期待がブラジャーにかけられてい るのだ。

  1956年から営業するスナック「山小屋」は、若松マーケットでもっとも古くからある店の1つ。この地区の変遷を見てきたママの坂元一美氏は「最盛期には、店の前の道でお客同士がすれ違うのに肩がぶつかるほど混雑していた。その頃は、年商3000万円ほどだったが、今は3分の1程度に減ってしまった」と語る。それだけにブラジャーにかける期待も強い。「発売以来、これまであまり店に来なかった若いお客が少しずつ増えてきた。横須賀ブラジャーを略しだスカブラ"という呼び方を流行らせたい」と意気込む。

  親子2人で切り盛りするスナック「サタン」も1963年から営業する“老舗"だ。これまでは地元の常連客が中心だったが、組合のホームページでブラジャーを知った人が来店するようになった。まだ知らないお客には、必ずブラジャーをおすすめする」とママの緒方廣子氏は語る。こうした努力の効果もあり、「サタン」では1日に8杯程度のブラジャーが売れている。

スナック「山小屋」が提供する横須賀ブラジャーは1杯500円。ブランデーと炭酸水に生姜のスライスを入れたブラジャーも提供する

スナック「サタン」を切り盛りする緒方廣子、恵美親子。寒い日には、横須賀ブラジャーを温めた「ホットブラ」がよく売れる

 「山小屋」と「サタン」ぱいずれもスナックで、客の年齢層は高めだ。一方、2010年にオープンしたバー「ONE'S」(写真右)のお客は、30歳代や40歳代が多い。店のブログで繰り返しアピールしていることもあり、ブラジャーを目当てに来店するお客が大幅に増えた。客の6〜フ割はブラジャーを注文するという。

バー「ONE’S」のマスター渡逞貢氏が
横須賀ブラジャーのレシピを考案した。
ブラジャーは一番の人気ドリンク

  「このエリアは、これまで常連客ばかりだったが、ブラジャーを発売してから、新規のお客が増え始めた。神奈川県外から来ている人も多い」とマスターの渡婚貢氏は説明する。「ONE’S」では、発売後の1ヵ月間に30〜40人の新規客が来たといい、渡追氏はブラジャーの効果を実感している。
 順調にスタートしたブラジャーだが、飲食店経営者だけで、これほど短期間に効果を上げる企画を立案し、実行するのは容易ではない。若松新生商業組合は、このプロジェクトを推進するに当たって、神奈川県のアドバイザー派遣制度を利用して、専門家のサポートを受けた。紹介されたのが、飲食店のプロデュースやコンサルティングを手がけるカゲンの子安大輔氏だった。

 相談を受けた子安氏は、若松マーケットが発展した昭和30年代の雰囲気がそのまま残っているような街並みの希少性に着目した。レトロな街の雰囲気は若者の目に新鮮に映るからだ。そして、昭和の面影を残す街並みと、最近若い人に飲まれることの少なくなったブランデーのイメージが重なった。

 ブランデーを使うドリンクを考案する際に、子安氏がこだわったのは、ネーミング。新しいものを認知してもらうには、いかに多くの人が話題にしてくれるかが重要だ。ブランデーとジンジャーエールを略したブラジャーという言葉は、エロチックなイメージがあり、若松マーケットの街のイメージとの相性が良いとひらめいた。

  子安氏の狙い通り、ネットでは、「飲むブラジャー!?」という見出しのニュース記事が掲載された。子安氏の仕掛けは、それだけではない。博報堂社員時代の人脈を使って、ロゴ入りの専用グラスとスナックのママを描いたポスターを制作した。この専用グラスは評判がよく、自宅用に購入したいというお客が何人もいたという。秀逸なネーミングとポスター、専用グラスが一体となって、ブラジャーの特徴が明確に伝わり、お客に対する訴求力が高まった。

  飲食店が地域活性化に取り組む場合、使える予算は限られている。少ない広告費でいかに成果を挙げるかがカギとなる。多くの自治体では、商店街の活欧化プロジェクトに専門家をアドバイザーとして紹介したり、コンサルティングの費用の一部を負担したりする制度を用意している。こうした制度を活用して、専門家の知恵を借りれば、短期間でも予想を超える高い効果を上げることも不可能ではない。

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