政治や施策に不満がある。 夢がない。 理想がない。 誰がやっても変わらない。絶望した。関係ない。 こんな風潮が世の中をおおっています。 確かに不都合で不合理で納得できない様々の出来事が蔓延しています。 以上総代、政治が悪い。 これが結論のようです。 政治や政治家が優秀だとは言いません。 外国からの評価に「経済一流、政治は三流」と言う諺があるくらいですから、政治が機能できないのは否定しようもありません。でもよくよく考えてみると、市民の暮らしの中からの不平や不満や批判の対象は、そのほとんどが行政なのです。
 

 Checkし、修正させ、市民にとって、何が一番大切なのか、どちらに優先度を認めるか、が最大の責務なのです。 総理大臣のしもべではないし、県においても知事の補佐でもありません。 まして、市において、市長の子分ではないのです。しかし、現実には市民の多くは、議員に行政の補助的機能を求め、行政とのパイプ役を求めているのです。 そこに政治が本来の為すべき責任を放棄する基盤となっていくのです。
 
 議員はいつも行政を厳しく見つめ、対峠する姿勢が最も求められるものなのです。 これは与党だから野党だからと言うものではないのです。 与・野党問わず、政治家の理念はそこになくてはなりません。行政は絶対ではないし、その硬直した組織や、公務員の保全倫理観からしばしば間違いをおかすのです。 これらを指摘できねば、議員の資格はありません。 しかし実社会の中で、この姿勢を貫くことは時にして、ハレーションを引き起こし、評価を受けないことが多いのです。
 
 しかし、諦めたら、何の進歩も改善もないことを知ってます。 それ故に、苦言を呈し、厳しく行政に注文をつけ、時には組織に戦いを挑んできました。 なれあいと談合の中で議員生活を過ごすことは簡単なのです。 正義を貫くことには、大きな抵抗を生み、既存の勢力にとっては邪魔なものなのです。 私の政治暦の中で、自民党の公認漏れは都合8回の選挙中3回あります。
 
 こからも全力投球で近代都市政党への変革を求め続けていきます。 行政や現実の組織との対決はこれからも続くでしょう。 しかし私は有権者が、行政と政治を混合する限り、決してあきらめず戦いを挑みます。 住民から市民への意識が変わるとき、政治も大きく変化するでしょう。 Never Give Upの精神こそ、政治家だけでなく、市民に求められているコンセプトなのです。