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鈴木 英人 さん
リトグラファー


◆ 鈴木英人 作品の数々
 「FM STATION」「野生時代」「プレイボーイ」「ポパイ」等の雑誌カバーイラストレーション及び本文イラストレーション 中学校英語教科書「NEW HORIZON」のカバーイラストレーションナショナル、ミスタードーナツ、デニーズ、ニコン、富士写真フィルム、ライオン、日産自動車、日本石油、アサヒビール、サントリー、キリンビール等の広告キャンペーン及び商品パッケージのイラストレーション科学万博駅パビリオン壁画、阪急西宮北口壁画、横須賀市「海と緑の1万メートルプロムナード」壁画相模湾アーバンリゾートフェスティバル1990モニュメント、多摩らいふ21・1993メインビジュアル。湘南国際村1994モニュメントハイビジョンTV番組制作(TBS)、サマージャンボ宝くじのイラストレーション
 
◆ 風と光のディトリッパー
 湘南地区で最高級住宅地。逗子市披露山。となりの家との境界に壁は一切ない。建ぺい率も20%。全体公園の中にあこがれの邸宅が並ぶ。ときおり相模湾の潮騒を肌で感じる。そんな一角に、英人の家がある。レンガとどっしりとしたWoods、ちょっと不釣合の白い柱。この4本の白柱はローマの神殿すら連想する。そこに2台の超大型4駆の存在。ここで英人は1人で暮らし、1人で作品に熱中する。
この存在こそ、英人そのものなのである。
初夏を思わせる陽差しの中、久しぶりに後輩英人と話した。胸から携帯電話を下げキラキラ語る英人に、うらやましいような孤独を見た。
 

牧島: 久しぶり、元気そうで何よりだね。昨日、伊勢丹の個展に女房がお邪魔したよ。

英人: どうもありがとうございます。奥さん何か言っていませんか。

牧島: ファン層が変わったようだと話していたよ。

英人: やっぱりそうですか。私も驚いているのです。

牧島: 若いギャルが大騒ぎだったようだよ。

英人: 実は今回の作品の中に、B'z が描かれているんですよ。彼らが僕のファンで是非と云われて。

牧島: それじゃあ英人ファンと云うより、B'z のファン?

英人: それは事実ですね。彼らから名前入りの生花が会場に届けられ、その前で記念写真を撮る若い女の子がつめかけて、不思議な世界になっちゃいましたよ。

牧島: いつも女性に囲まれていた英人としては、納得できない。

英人: そんなことはありませんが少し淋しいですね。

牧島: 今日は英人ヒストリーと作品について、いろいろ聞いてみたいのだが。

英人: あまり人に話していませんが、構いません。

牧島: 画、絵ごころは子供の頃から。

英人: 生れは博多、親父は映画館のオーナーでした。しかも自主制作で映画看板を描いていました。親父は私が24才の時亡くなるのですが、今でいう自由人みたいなところがある人でした。ですから少年時代は映画を観て、親父の看板づくりを手伝ったり、そのころから絵を描く能力はあったと思います。

牧島: どうして横須賀へ。

英人: そんな親父でしたから事業に失敗し、縁を頼りに横須賀へ来たのです。

牧島: そして県立横須賀高校入学、私の後輩になった訳ですね。

英人: そうです。家にお金もないし、画も続けたい。そうなれば芸大一本ねらいの受験生です。しかし残念乍ら2浪をするも失敗です。そして画やデザインを勉強しながら横須賀でフリーターです。

牧島: その頃だよね、私がデビュー前の小泉純一郎さんの秘書をしてて、純一郎さんの初陣のポスターを依頼したのは。

英人: 小泉さん27才、牧島さん25才、私が23才でした。今日本のトップリーダー総理大臣の選挙ポスター第1号ですよね。

牧島: 遠い昔の話になってしまったね。でも、よく憶えているよ。油絵のポスターで赤がバック、若い志士のイメージで最高だったよ。でも残念乍ら掲示をしたら、亡くなった純也先生の後援者達から猛反発。「選挙は遊びじゃない」なんておこられて。たった2〜3日で貼り変え作業。泣きながら変えたのを忘れられないね。

英人: きっと今だったら爆発的人気だったりして。

牧島: そうだろうね。

英人: そんなくらしのなか24才で赤札堂(小泉グループ)の宣伝部に入社することになりました。電通系のプロダクションで仕事をしました。

牧島: デザイナーとして。

英人: そうです。周りは優秀なエリート集団ばかりでした。それだけに、たたきあげノンキャリの私の作品は既存社会の中では新鮮で、強烈だったのでしょう。もうメチャクチャ忙しくて、随分いい仕事をさせてもらいました。

牧島: そこでデザイナーとしての才能は業界的には認められたという事?

英人: そうだと思います。そして27才の時、独立を決意しました。

牧島: よく組織を離れるとダメになる例もあるね。

英人: 時代もよかったのかも知れませんが、超大手の東芝、全日空(トライスター)、日産、アサヒビール、サントリー、キリンといった会社の作品を手がけました。これはプラン作成から撮影、そして制作とすべてやりました。
この頃も超多忙な毎日だったですね。

牧島: そして神経も磨耗してくる?

英人: 29才になって、デザイナーとしてでなく画家として自由に生きていきたくなって、次の道を探すことになったのです。

牧島: どうして道をみつけたの。

英人: 電通の図書館に3週間、休みなしで通いました。そこで絵画からデザインまで全ての作品に目をとおしました。そのなかで新しい発見を探ったのです。

牧島: その結果は。

英人: 線と面の技法です。もっとも古典的でもっとも開発されていない画法はこれだと思いました。

牧島: 線と面?それってぬり絵じゃない。

英人: そのとおりです。コミックまんがの手法なのです。これが技術として技法として開発されていないと思ったのです。

牧島: 古典的といったけど、まさに浮世絵の技法だよね。

英人: さすがですね。そのとおりです。アメリカでは現代の浮世絵との評価なんですよ。

牧島: そうして自らの想いのたけを作品に。

英人: 30才の機に作品を世に問いました。幸い熱狂の嵐でした。

牧島: 最初の作品は日本でいえばヨコスカ、アメリカ基地、本牧、アメリカでいえば黒人、ソウル、JAZZ、場末、裏通り、バー(Bar)、看板、そんな感じだったよね。

英人: そうなんです。ヨコスカのEMクラブが原点なんですよ。想いはオールデイズの世界なんですよ。

牧島: 古き良き時代のアメリカンスピリッツ。そして妙に乾いた青い空。静けさの中に新しい時代の予感を感じたよ。
更に作品は変化していくね。

英人: 34、35才にWater's の世界に入ります。海、ハーバー、リゾート。技法としてはシルクスクリーンの開発となって行きます。

牧島: 背景が変わったのですね。日本で云えば湘南、アメリカはマイアミ、フロリダ、カリフォルニア、サンタモニカ、そんなイメージですね。

英人: そのとおりです。この頃から技法の大衆家を目指します。つまりリトグラフ、リトグラファーとして版画ストックに前向きにとりくみました。原画のみの世界から、自ら画商への道とも云えます。丁度40才でした。

牧島: 今、版画ストックは。

英人: 200作品になります。

牧島: 更に作品に変化が生れますね。

英人: 42、43才。Color's の世界に入ります。

牧島: 作品に花が描かれる。

英人: 端的に云えばそうです。しかし、これが意外な結果でした。

牧島: どんな変化。

英人: 確かに女性のファンは増えたのですが、従来のファン層は実は70%が男性だったのです。こうした古くからのファンには不人気だったんです。きっと私に求めているものではなかったのかも知れません。

牧島: 更に作品が変わります。

英人: 50才になり、私達の次の世代、つまりオールデイズ世代の子供達のファンが急増しているのです。

牧島: それがB'z 世代?

英人: サザンからもオファーがあるのです。作品のなかに人、人の影が求められているのです。私達の世代には、そんな要望はなかったのにね。

牧島: やはりビジュアル化の世界かな。

英人: そうなんでしょうね。でも次世代の要望も貴重な提案だと思っていますので挑戦していきますよ。それに、これからの技法の進化にも努力しないと、今コンピュータと向いあってます。
誰も自分のことは解らないものです。他人の評価が自分の評価であって・・・。これからも描きつづける人生ですね。

牧島: 1人ぐらしは何かと不便。身体に気をつけて頑張って下さい。

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