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親友 加藤博一氏に贈る。

 甲子園に阪神タイガースのユニホームが妙に似合う不思議な選手があらわれた。 俊足、好打、フィールドを駆け巡る加藤博一だった。ホエールズファンにとって実に気になる選手だった。リーディングヒッターを視野に活躍した。

 その加藤博一が大洋ホエールズに移籍した。自分の夢が現実になった。そこから私達二人の友情はスタートした。



 実にシャープで人付き合いのよい男だった。

 後輩の面倒もよくみていた。斉藤明夫、高木豊、高橋雅裕、佐々木主浩、谷繁元信。もちろん先輩達にも信頼された。大矢明彦、関根潤三。原監督や清原、松井稼頭央選手とも親交が厚かった。

 一言でいえば軽妙で細心、いつも笑顔の輪の中にいた。いつの選挙でも一緒に戦ってくれた。私だけではなく、後輩の市会議員の応援にも駆け付けてくれた。加藤博一主催のゴルフコンペは圧巻だった。参加者の豪華さもさることながら、パーティーはいつも3時間を超えた。誰一人帰ることもなくショーやオークションを楽しんだ。


 しかし加藤博一は只それだけの男ではなかった。コンペの収益金を盲導犬や育成基金として活用したり、少年野球のチームの育成に心を砕いた。ボランティアに邁進していたのである。

 今プロスポーツ界ではようやくボランティアの気運が生まれつつある。加藤博一はその先駆者でもあった。56才の短い生涯を讃え、そして悼み、この追悼のことばを贈る。

平成20年1月21日


追悼のことば

1 月21日12時56分。
一つの命が消えた。

加藤博一。56才。あまりにも短い生涯だった。
君は満天の星の一つになった。
その星はキラキラと輝き、君を愛する人達へいつもと変わらぬ笑顔を永久に贈りつづけるだろう。

君は西の国で、明るさと一緒に誕生した心優しい士だった。

佐賀から福岡へ。
野球少年からプロ野球選手へ。
汗を流しエネルギーを燃焼させ夢を手許へ引き寄せた。
しかし君は努力する姿を決して人に見せることはなかった。

大阪へ移り野球人としての存在感を高めた。
横浜ではスーパーカートリオの一員としてスタンドを沸かせた。
「ヒロカズ」コールは夜空に「こだま」し、全国のファンを熱狂させた。

21年にわたる現役にピリオドを打ち人気キャスターとして天性のタレント性を開花させた。

君の哲学は「決して人に不快感を与えない」だった。
この信念は 終生貫ぬかれた。

肺ガンを発病してからの2年間は見えぬ病魔との壮絶な戦いだった。

君はいつの日かユニホームを着、フィールドに立ち、ありったけの情熱を若き精鋭に 傾ける。
夢を 叶える為戦った。

愛する妻、晴代さんに支えられ厳しい冬を乗り越えた。
瓜二つの長男、 剛志君に励まされ、桜の春を乗り越えた。
目のなかに入れても痛くない次男、眞一君と言葉を交し、あの暑い夏を乗り越えた。

葉山の丘が紅く染まる秋、君を愛する人々との絆によって乗り越えた。
私達は復活を信じた。

君は今、 忽然と私達の前から姿を消した。
あの笑顔も、あの声も、もう見ることも聞くこともできない。
辛い、悲しい、 淋しい、 口惜しい。
無念の情は尽きることがない。

君は安らかな眠りについた。
君のことは決して忘れない。
君は永遠にすべての人々の心のなかに生きつづけるのです。

最後のことばとなりました。

さようなら
加藤博一
さようなら

ファン代表 牧島功



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