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團 伊玖磨先生を偲んで

  対談の予定でしたが、團先生の客死に伴い追悼文に変更しました。

 平成13年5月19日、横須賀市秋谷の先生が愛してやまなかった丘の上の家は悲しみに包まれた。 午後11時20分、先生は帰らぬ人となり、この家に戻った。 梅雨の訪れを知らせるかのような湿った風が、相模湾に臨むこの丘の桜の葉を揺らしていた。 いつもなら雄大な海と高い空が、静かな夜と明日の陽光を約束する。團家の窓がカタカタと音を鳴らした。
私にとって團先生は大きな心の支えであった。 芸術や文化とほとんど縁のない私や家族にとって、誇りともいえる存在であった。 選挙のときも蔭で支えていただいた。ごく親しい人達にも声をかけてくださった。 本の執筆のときも、三浦半島のこと、
海のこと、過去について、未来について、地域の文化を熱く語ってくれた。
  團先生と私の親交を不思議に思う人達は多い。 環境や立場の違いから心の交流は信じられないのかも知れない。 3年前、参院選に敗れたとき、優しい言葉、激励をいただいた。 父のようでもあり、兄のようでもあった。 昨年6月、私の25周年パーティーを開催させていただいた。 先生は真っ先に賛同してくださった。 当日も自ら指揮棒をふるい、育てられている神奈川フィルの演奏をプレゼントしてくださった。 團先生が個人のパーティーに出席していただくだけでも異例なこと、まして指揮まで・・・。 出席していただいた多くの人々も私と感激を共有してくれた。
 
◆ 蘇州での客死
 平成13年5月31日、團先生の北京での公演は決まっていた。 60数回に及ぶ中国への訪問と旅、その集大成と言うべきこのコンサートに懸ける情熱は大きなものがあった。 その事前の打合せを兼ねた旅立ちはごく自然なものであった。 もちろん愛妻の死、Dan Yearの終了、持病の心臓病、こうした環境下での訪中に危うさを感じる人々もいた。 しかし自ら決断した事を絶対といっていい程変えぬ一途な人柄を知る人達に、この旅を止めることはできなかった。 北京訪問を終え、蘇州へ、そして上海、そして日本。 こうしたスケジュールで旅はすすんだ。 上海は先だたれた愛妻、和子さんの生まれ故郷でもあった。 きっと上海の地で、別離から今日までの様々な想いを語ることを願っていたのではないか、今そんな気がする。しかしこの願いは実現する前日に、それが夢であることを証明するように「まぼろし」に終る。 まるでパイプをくゆらせ話をするのは、上海ではなくて天国で・・・。 奥様と團先生の愛の完結は天国でということなのでしょうか? 和子夫人の故郷・上海より天国での再会を求めたのでしょうか? お二人の絆の強さを象徴するかのごとく、蘇州でのご逝去になったとの想いが、私の胸に去来するのです。
 
◆ 團伊玖磨先生の人づきあい
 昨年の6月、神奈川芸術文化財団が提唱した『Dan Year2000』は、20世紀から21世紀への架け橋として全国各地で開催された。 そのオープニングは横須賀芸術劇場でのオペラ「夕鶴」からスタートした。
関係者や市民の熱い期待はもちろんの事、天皇・皇后両陛下にとっても深い関心を寄せられていた。 2代にわたる祝婚行進曲の作曲を手がけられたことは、多くの人達の知るところですが、それ以上に両陛下の團先生への想いは強きものと感じられた。 当日、約30分のご鑑賞をされ、舞台の終了とともに隣の横須賀プリンスホテルでの打ち上げパーティーにもご来駕いただいた。 スタッフや團先生のご友人一人一人に優しくお言葉をかけられた陛下のお気持ちは「これからも團先生を囲み頑張って下さい」そんなお心が感じられました。 一方團先生は、お住まいの秋谷地区の自治会長もすすんでされていました。丘の景観を守ることや、ゴミの出し方まで自治会の人達と話し合っておられました。 陛下とのご関係から一町民としての團先生、両方とも團先生なのです。
 
◆ 團先生の正義感
 本当に正義感が強いのです。芸術家にありがちな我儘でなく、納得できないものは誰が何をいってもNOなのです。県をはじめとする行政のメセナ事業に対処する施策にも精通しておられ、よく深夜の呼び出しを受けました。秋谷のご自宅や横浜のホテルでとことん議論です。
パイプをくゆらせ、徹底検証なのです。博学の上になりたつ議論なので、こちらは対抗もできません。議論はこちらの畑と思っていた私も、しばしば白旗を揚げました。しかし、いつも最後の局面で、素晴らしい解決案の提示がありました。いつも團先生とのお話で「議論の進化論」を体感したものです。
 
◆ 團先生のふるさと愛
 私は三浦半島「4市1町」の合併、政令市への移行をずっと提唱しています。そして、この「4市1町」共通のテーマは「海」と主唱してきました。「海」をキーワードに弾力的で強靭な、そして小さな行政体をつくるべき、これが21世紀、地方分権のシナリオであると訴えてきました。
最も共鳴してくれたのが團先生でありました。三浦半島には豊かな自然と可能性を秘めた人達が多い。東京や横浜と違った「海の香り」の新しい街おこしをすべきだ。休日には街に誇りをもち、自らが文化の担い手であることを自覚できる新世紀の街づくりを目指そう。快適で明るく、利便性が高く、環境に優れている。固有の文化と、文明の拡がりを同時体験できるのは三浦半島しかない。熱く語ったひと言、ひと言が今でも胸に残っています。
團先生の音楽活動や文化活動を、私には語る資格がありません。経歴や作品の数々を論評することも出来ません。まして人間「團伊玖磨」を解析することなど不可能です。こうした分野は他の優れた人達におまかせします。只々、私は大きな優しさで芸術や文化、故郷や海、歴史や神話を愛した先生の一つ一つの想い出を大切に、私の生涯の糧にしたいと念願しています。

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