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 支持率10%前後、国民の信頼と支持を失った森内閣では、7/29の参院選は戦えない。こんな党内・外の声が日増しに高まり、遂に退陣は決定的となった。 確かに就任時2万円を維持していた株価も1万2千円に落ち込み、失業率も4.7%、約317万人が失職するという経済環境が改善できない内閣の末路は、命運尽きていたと断ぜざるを得ない。

更に度重なる失言・放言によってマスコミとの関係は極端に悪化し、森批判はエスカレートの一途であった。そして9月実施の総裁選の前倒しが決定した。
予備選実施!
 党執行部(野中・古賀グループ)はあくまでも前倒しなので、党員の投票は物理的に不可能との見解を発表し、国会議員と各県連1票の形態による選挙を予定していた。こうした形式では圧倒的な党内基盤を誇る橋本政権の実現は確定空気が充満した。
神奈川県連や東京都連はこうした旧態然とした派閥主導の選挙に激しく抵抗した。かながわ自民党は党員の意志を尊重し、開かれた運営を主張。とうきょう自民党は目前にひかえた都議選をにらみ、派閥政治の打破を打ち上げた。
 
地方の反乱
 こうした地方の反乱は日を追うごとに高まり、執行部も予備選の実施を容認せざるを得なかった。 更に各県連に1票を3票にする手続きに着手した。しかし、この段階でも数の論理から橋本優位を動かず、執行部では党員に対するガス抜き、マスコミに対するサービス位にしか考えていなかったのであろう。
マグマ爆発
 結果的に47都道府県すべてで予備選は実施される事になった。しかし党員が直接投票所に出向き投票を行う県は、東京・神奈川・北海道といった一部の地区であり、他のほとんどが郵便方式を採用した。 ここに執行部の大きな誤算が生じたのである。郵送方式では一定の時間が必要となったのである。過去の総裁選の日程は立候補〆切りから投票まで、2〜3日間のスケジュールであった。これが12日間に延長されるに至ったのである。街頭遊説も全国主要都市で可能になり、更にTV・新聞等マスコミも連日過熱気味の報道合戦を繰り広げることとなった。
 
国民が党員を揺さ振る
 小泉純一郎はこうした空気を素早く察知し、脱派閥を宣言、自ら森派会長を辞し、無派閥で国民的人気の高い田中真紀子と合体し、全国遊説を展開した。 マスコミはこのコンビの活動に過剰な反応を示し、報道は加熱した。「聖域なき構造改革」と「自民党を変える」のキャッチフレーズは、またたく間に全国に拡散し、国民の声と表現されるに至った。党員はこのコンビの新鮮さに拍手を送り、国民の支持は不動のものとなったのである。執行部は事の急変に焦燥感を募らせ、遂に古い体質むきだしに役職手形をふりだした、最悪の一手であった。脱派閥がスローガンの小泉陣営には、更にフォローの風となり、全国予備選141のうち123票の獲得となったのである。党員の声は一つになったのである。 これにより国会議員も旧派閥のしめつけにより国民の声を選択せざるを得なくなり勝負はついた。
 
田中角栄支配は 田中真紀子によって破られた
 佐藤栄作総理は8年間の永きに渉り日本のトップリーダーとして君臨した。ポスト佐藤は激烈を極めた。 田中角栄、三木武夫、大平正義、福田赳夫、中曽根康弘、そして竹下登、金丸信、細川護煕、小沢一郎、鳩山由紀夫、橋本龍太郎、野中広務、青木幹夫、ポスト佐藤で第1次角福戦争、更に第2次戦争と続き、竹下派旗上げ、自民党分裂とシナリオは激変しつつ日本の政治は揺れ動くのである。しかし冷静に分析すると、表舞台で活躍する人、裏で糸を引く人、いずれも田中軍団の人々であった。まさにキングメーカーとして、自民党、保守政治の指導者として名をはせた人々はいずれも田中派と深い係りがあった事は事実なのである。 こうした自民党の歴史にとりあえず終止符を打ったのは、角栄氏の長女である田中真紀子であったのである。これで政界の田中角栄の影は消え去ったのであろうか?現段階では明確に答えられない。何故なら田中真紀子人気の原点そのものに角栄の影が見えるからである。21世紀の日本、何を提唱するかですなく、何を実践するかである。小泉内閣に期待は大である。

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