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 十二月二三日。約三ヶ月間アフガン進攻の核として任務を遂行した米海軍空母キティーホークが母港の横須賀に帰港した。前日に第七艦隊から招待を受けた私は横須賀基地から軍のヘリコプターに乗り東京湾口でキティーホークに着艦した。 基地に着岸するまでの二時間、トーマス・A・ハイル艦長、メルウィリアムス第五空母艦長チーフ・オブ・スタッフと交流、意見の交換を行った。両氏とも責務を果たした充実感、そしてクリスマスを隊員にプレゼントできた歓びを率直に語ってくれた。日本では米軍支援に向けて様々な議論があり、一部マスコミの偏見に満ちた論評までもが、あたかも通例のように報道されていた。しかし、艦長は日本自衛隊の協力をこう表現した。 「今回の戦略は一個の身体のようなものだった。頭や手、足はもちろん、心臓や肝臓全ての機能が一体化して初めて効力を発揮するものであった。日本の支援は極めてその意義を高めるものだった。」
 現場で実際に指揮を執る立場の証言は重い。アメリカは今回の対応の基軸を「連帯」に置いていた。タリバンが「イスラム対アメリカ」の図式を世界に発信していたのに対し、アメリカは外交ルートを駆使して「テロ対自由と平和」を高く掲げ各国に理解を求めた。 九月十一日のあの悲惨な光景を報道を通じて胸に焼き付けた世界中の人々は、「テロリズムは許さない」の旗のもとに集結した。日本の決断は正しかった。戦いの現場から戻ったばかりの艦内で、日本の自衛隊の優れた能力が高く評価され、アメリカの戦略に大きな意味をもたらしたことが証明された。いつも陽気なアメリカ兵士。あと数十分で母港に着くことが知らされても八万トンに及ぶその艦内は嘘のように静寂だ。通常の任務に就いている時であれば、この時期クリスマスムード一色であったに違いない。しかし、飾りつけもほんの少ししかない。サンタクロースの衣装を身につけた兵士の姿もたったの一組しか見当たらない。家族と会える。友と酒を酌み交わせる。恋人と語らえる。楽しい時間は目前のはずである。 しかし、手放しではしゃぐ姿はそこにはなかった。未だニューヨークに眠る人々に想いをはせているのだろうか。艦から戦地に向かい極寒の山岳地帯で戦いを進めている特殊部隊の同胞を気遣っているのだろうか。兵士の中には女性隊員もいる。彼らは皆若く、礼儀正しく、そして、その誰もが緊張感からは解放されていなかった。
 純粋な若き戦士たちは心の痛みを癒しきれないまま帰港する。艦内にいる三千五百人の兵士の眼がそれを物語っていた。キティーホークの艦内で任務に没頭した兵士達は戦略や戦術よりも、この戦争の意味するものに誓いを立てた戦士たちだ。アメリカ軍であることに誇りを持ち、私達日本人を艦内に受け入れてくれた。私達日本人への招待状が意味するもの。それは、米海軍の際立った戦略でもある。報道陣は沖縄からC二にて着艦一日半の行程で同行を許された。十機余りの戦闘機が報道陣の前で厚木へむけて帰還した。日本のマスコミが特にタッチ・アンド・ゴーに敏感なのを承知していないわけではないのだ。それでも戦地から帰る空母の取材を許可した背景は一体どこにあったのだろうか。それを考えた時、私はアメリカの世界戦略を垣間見たのである。日本のマスコミを空母へ招くことで、今回のオペレーションは「連帯」の絆を基軸にしているのだということを定着させる戦略だ。 アメリカと、日本を含む諸外国との連帯の枠組みの中で任務を遂行してきたアメリカ軍。キティーホークの艦内で出会った軍人一人ひとりが大きく胸を張っているように私には感じられた。この名も知れぬ兵士たちのプライドこそ、私達日本人が喪失しているものではないだろうか。私は彼らの真摯な行動に胸を痛め、抑制された歓喜を目のあたりにし、目頭を熱くしながら、星条旗の波が揺れる横須賀の港に降りたった。

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